{{{辻堂駅の歴史}}}

 
 明治20年(1887)7月11日、新橋~横浜間の鉄道が国府津まで延び藤沢停車場が開設されると辻堂で生産される甘藷(さつまいも)、野菜、魚類等が京浜方面に向けて盛んに出荷されるようになりましたが、辻堂駅が出来るまでの間、藤沢駅まで運ばなければならない不便さが続きました。
 明治の末頃になると海軍の辻堂演習がはじまりその物資を運ぶためと、土地の発展のために駅をつくることが緊急に必要となりました。
 そのために明治45年(1912)頃から設置促進運動を始め、地元の有志を発起人として「辻堂停車場期成同盟会」を設置し、敷地の無償提供などを条件として運動を展開した結果、大正5年(1916)12月1日、辻堂駅が開設されました。
 現在では駅南派出所横の記念碑が当時の苦労をしのばせます。また、10年ごとにこの開設を喜び功労者をたたえる記念行事が行われています。
 辻堂駅利用者一日平均数  大正5年225人、昭和20年2,501人、昭和31年(40周年)20,220人、昭和41年(50周年)47,116人、昭和51年(60周年)58,178人、平成2年85,608人。現在112,268人

 

初代の辻堂駅(辻堂停車場)

大正5年に開設。

第2代目の辻堂駅

大正13年(関東大震災で駅倒壊)に改築された。

第2代辻堂駅

改築直前の辻堂駅

{{{ 辻堂駅あゆみ}}}


(大正2年)      - 辻堂信号所開設。
(大正3年)3月26日 - 辻堂停車場設置期成同盟会が発足。
(大正5年)12月1日 - 国有鉄道の駅として開業。旅客・貨物取り扱いを開始。

             用地2500坪の資金2,483円は住民負担。開設記念碑を建立。

             駅舎は現在の南口のスロープ降り口付近に建てられた。
(大正12年)9月1日 - 関東大震災で駅舎が倒壊。
(昭和18年)10月1日 - 北口前に日本海軍第一衣糧廠辻堂支廠(後に片倉製糸工場)が設置される。
(昭和20年)12月18日- 6:35、連合国軍の命令により旧日本軍の焼夷弾を輸送中。

      線路入れ替え時に貨車2両が爆発。

      死者8名、重傷9名、全壊家屋14戸、全壊63戸、半壊335戸。

      松下電池工業辻堂工場1棟、山本工業工場1棟、吉田製作所工場4棟全壊。
(昭和21年)12月8日 - 藤沢都市計画辻堂駅前土地区画整理が決定される。
(昭和28年)      - 西口を新設。
(昭和38年)      - 西口跨線橋が完成し、西口の踏切を廃止。
(昭和43年)      - 南口駅前ロータリーが完成。南口駅前の舗装完成。丸湘ビル完成。
(昭和44年)6月9日 - 中核派と機動隊が本駅で衝突。
(昭和45年)4月   - 藤沢市道藤沢駅辻堂線(東海道本線沿いの延長3540mの道路)が開通。
(昭和48年)9月   - 駅から湘南ライフタウンまでの藤沢モノレール構想が発表。後に凍結。
(昭和51年)      - 北口駅前ロータリーが完成。バスの発着が北口でも開始。
(昭和52年)11月   - 橋上駅が完成。南北自由通路が開通。
(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道の駅となる。

(平成6年)11月   - 駅東側にあった羽鳥踏切が立体交差化され、湘南辻堂地下道となる。
(平成8年)      - 「開設80周年記念式典」を実施。

(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
(平成21年)3月11日 - 北口交通広場供用開始。北口バス乗り場が変更される。
       7月9日  - ホーム拡幅工事の進捗に伴い、貨物下り線の線路切り替えを実施。
(平成22年)5月23日 - 上り線の移設および仮設によるホーム拡幅が行われる。
(平成23年)11月11日 - テラスモール湘南のオープン、同モールと北口が直結される。
(平成24年)3月30日  - 南口デッキ・西口跨線橋の供用開始。

(平成26年)7月     - 駅の業務を業務委託。